桜ヶ丘まちづくり市民協議会運営委員会
31日は夕方から、桜ヶ丘まちづくり市民協議会の運営委員会を開催しました。テーマと議論の結果は以下の通りです。
(1)国道と丸子中山茅ケ崎線との交差部横断歩道計画について
・県土木事務所では、警察との協議が整ったとしたうえで、一部計画図の説明を始めています。しかし、最も影響の大きい地域自治会にはいまだに正式な説明が行われていません。そのため、現在の計画内容の地元説明を求めていくことになりました。
(2)鉄道連続立体交差方式について
・大和市は、6月定例会において、差連続立体方式が決まれば全力で桜ヶ丘のまちづくりに取り組むと明言しました。一方、高架、地下については行政、議会、地域住民で一本化されていません。そこで横浜市のヒアリング結果などを踏まえて鉄道の高架、地下について議論しました。今後、継続的に議論していくことになりました。
神奈川県倫理法人会の研修委員会
11月30日の夕方は、桜木町の保健福祉センターで行われた研修委員会に出席しました。県内レクチャラー制度の紹介や今年度任命されたレクチャラーの自己紹介などがありました。また、研修委員会の在り方や立ち位置の共有、活動予定などの確認がありました。
そのあとは懇親会が行われ、初めてお話しする方々と交流を深めてきました。
世の中は狭い
昨日は、世の中は狭いことを実感する1日でした。議会報告を知人、支援者たちに配布して歩いていましたが、偶然2か所の駐車場で中学時代の同級生と出会いました。しかも1人は大和市外在住です。
そのあと夕方から、横浜の都筑区で行われた商業者等交流会に参加しました。途中の下車駅でばったり大和市の部長の方とお会いしてびっくり。ブルーラインで2駅ご一緒しました。
交流会では、商店街ラップ動画の事例として、茅ケ崎、相模大野、川崎などの4か所が紹介され、その経緯などを説明して頂きました。私も桜ヶ丘で11月18日に行われる第2回の朝市やこども朝市などもご紹介してきました。そのあとの懇親会で、偶然、茅ケ崎の商店主の方が私の高校の友人と中学の同級生だとわかり、またまた偶然に驚きました。
最後は桜ケ丘でもお世話になっている県のかたとNPOの方との音楽セッションで楽しませて頂きました。
台湾高座会留日75周年歓迎大会の本番
20日は、午前11時前にシリウスに集合して、13時30分から開会する式典の準備にとりかかりました。
会場は1階部分がほぼ満席に近く大盛況と言えるでしょう。私の役割は受付と、歓迎イベントに出演する慶応大学ワグネル合唱団の接遇でした。
13時半から始まった歓迎式典は、予定より40分以上オーバーする熱気となりました。台湾高座会会長の李雪峯さんは、車いすが必要となっていますが、とても90歳以上とは思えない元気な日本語で挨拶していただきました。元少年工の方々は全員が90歳前後という高齢でもあり、我々はこれが最後の歓迎大会と考えていたのですが、李雪峯会長は、子供、孫にも引き継ぎながら台湾高座会の交流を続けて行きたいと挨拶されました。
台湾で最大の親日団体と言われる台湾高座会の交流が継続されれば、大きな意味があります。
歓迎式典のあとは、歓迎イベントとして、海上自衛隊横須賀音楽隊と慶応大学ワグネル合唱団の演奏を楽しみました。
そのあと、急いで海老名市のホテルに場所を移して、歓迎の宴が催されました。当初の予定が台湾側が約100名、日本側100名の予定だったのが、日本側150名の合計250名の熱気あふれる大宴会となりました。
その中で、日本側の実行委員の一人が李雪峯会長の発言を受けて、今後も交流を引き継いでいくと力強い発言があり、またまた盛り上がりました。今後の交流が楽しみです。
台湾高座会留日75周年歓迎大会
戦時中に、戦闘機の組み立ての人員補強のため、台湾の少年工が日本に来てから既に75年がたちます。彼らが台湾に帰国後、日本を第2の故郷として日台交流活動の中心を担ってこられました。しかし日本に来た少年工も既にほとんどが90歳前後となっており、これが最後の記念式典になるかもしれません。
20日に座間市の芹沢公園で台湾少年工顕彰碑除幕式、大和市のシリウスで歓迎式典と歓迎イベント、海老名のホテルで歓迎宴と続きます。
そのため昨日午後6時からシリウスでの事前準備に参加してきました。入り口での受付のセッティング、舞台のセッティングなどです。無事、終了しましたが舞台から客席を眺めると歌いだしたくなりました。少し声を出しても音響の良さを感じ取れます。
今日はこれから、シリウスでの式典に実行委員の一人として臨みます。
湘北支部総会で講演
昨日は、湘南高校湘北支部(大和、相模原)の総会が相模原の伊勢丹バンケットルームで行われました。ちなみに相模原の伊勢丹は来年の9月で閉じることになっており、あと1年間となりました。一時はテレビドラマの舞台になるなど時代の先端となった百貨店ですが、時代の流れには逆らえません。
総会終了後、約1時間にわたって、私が長銀総研コンサル時代に手掛けた清算事業団用地の品川、汐留用地処分の話を中心に講演しました。
今だから時効で話せる裏話も含めてバブル崩壊後の1997年、98年の処分におけるゼネコン、金融など様々なセクターの動きを具体的に話しました。特に品川の5.2haの土地を清算事業団が分割処分する方向に傾いたとき、品川駅前の一体的まちづくりのために一括処分することを主張して、結果的に一括処分されたことは良い思い出です。
当時の資料や書籍などを読み込んで講演会資料を作ったのですが、このように昔係わったプロジェクトを整理する良い機会ともなりました。
伊勢丹の屋上