地域活性化事例② (山梨県市川三郷町;歌舞伎文化公園)
相模原市の藤野に続いて、山梨県の市川三郷町の歌舞伎文化公園をご紹介します。
市川三郷町は人口が約15,700人、世帯数約6,680戸のまちです。このまちは、歌舞伎の初代市川團十郎のゆかりの地としても有名です。そのため歌舞伎文化の振興に力を入れてきたとのことですが、その象徴として歌舞伎文化公園が整備されました。
公園の総面積は約2haで、その中心施設として、最初に文化資料館が整備されました。
そのあとふるさと創生事業を機に、ふるさと会館(お城)と付随する470人収容の多目的ホール、芝生広場などの周辺整備を行い現在の姿になったようです。
お伺いして、最初に文化資料館に入場しました。展示資料は市川家からも多く寄贈されており、充実したものでした。平日ということもあり、他の客はおらず、40分以上も懇切丁寧に解説して頂き、歌舞伎のいろはや、歌舞伎界のトップに君臨する成田屋の市川宗家の名跡が市川團十郎であることなどを教わりました。12代目が亡くなった後、空席のままですが、市川海老蔵がいつ13代目を襲名するのかが大きな話題となりそうです。
ふるさと会館は、写真のようにお城の形状です。確かに城に上ると見晴らしが良いのですが、付属施設のホールやレストランの稼働率は良くないようです。
芝生広場は、忍者をテーマとした遊具があり、子供たちには喜ばれそうですが、平日なので、人影はまばらでした。
以上を総括すると以下のようなことが言えるのではないでしょうか。
1.歌舞伎ゆかりの地であることから、文化資料館の内容は充実して素晴らしく、見ごたえがありました。これを文化資産としてまちづくりに活用することは必然的です。
2.しかしながら、従来、お城がない地に、ふるさと創生事業を機に大掛かりな城やホールを造ってしまったことは大きな反省点です。現在、需要や利用の少ない大掛かりなハコモノにより、維持管理費の負担が行政の財政を圧迫していることは明らかです。
どうせであれば、歌舞伎の原点に戻って、初期歌舞伎の舞台を復元するほうが話題性とランニングコストの軽減になったと考えます。
(ふるさと創生事業の負の遺産を見た思いがしました。)
地域活性化事例①(藤野;芸術の道)
地域活性化事例として、これから様々な事例をご紹介したいと思います。なお、内容についてはヒアリングしていないので、あくまでも私の主観、印象のみの記述になります。従って事実と異なる記述や見落としていることもあることをあらかじめご了解ください。
最初に相模原市の藤野の芸術の道をご紹介します。文献などによると昭和61年に「藤野ふるさと芸術村構想」の理念が提唱されて、最初は神奈川県や旧藤野町などの行政と、観光協会、各種団体、スポンサー企業などが中心となって、事業の企画、運営を行ってきたとのことですが、現在は主体が市民や在住芸術家へと移行し、市民自らが事業の企画、運営を行っているとのことです。
私も様々な地域活性化に取り組んで来ましたが、これは理想的なプロセスであると考えます。当初の行政主導から市民・住民主導へのプロセスが実現することはそれほど多くありません。
現在の藤野地区は芸術村にふさわしい様々な施設が存在し、様々なイベントが行われています。また、芸術を志す人々以外に、緑豊かな環境にひかれて、農業を基本に自然と共存する永続可能なライフスタイルを目指す人々も移住してきているようです。地域の方々や新たな移住者により様々な取り組みやイベントも行われています。
そこで今回、芸術村の主要事業として行われた「芸術の道」と「神奈川県立芸術の家」、2010年にオープンした「ふじのアートビレッジ」に行ってきました。
芸術の道は、約30点ほどの彫刻やオブジェが道路沿いに点在し、2時間ほど歩いて見て廻りました。いずれも意欲的な作品で見ごたえがありました。しかし、残念なことに、平日のせいだったかもしれませんが他の見学者には会いませんでした。
また、作品群も経年劣化で塗装が剥げていたり、作品案内板に苔がこびりついていたりでメンテナンスが良くありませんでした。
神奈川県立の芸術の村は平日ですが団体の利用者が利用していました。ふじのアートビレッジは土日が出店者も多くなるようで、行った日は平日なので客が多くありませんでした。
以上、駆け足での見学でしたが、独断で整理すると以下のことが言えるのではないかと思います。
第1に理念に基づいた地域振興が30年以上にわたって継続していることに素晴らしさを感じます。さらに繰り返しになりますが行政主導から民間主導へとリレーされていることは、これもまた素晴らしいことだと感じました。
第2に芸術の道の彫刻、オブジェのメンテナンスを日常的に行う仕組みづくりが必要と感じました。最近は話題性にも欠けているのではないでしょうか。ハードは一度完成した後、常に新たな話題性を提供する継続的な取り組みが必要と考えます。そのためにも数年に一度は改たな彫刻やオブジェを地元在住の芸術家から公募することや、芸術の道に関連するイベントなどを行うなどの話題性提供が必要なのではないかと感じました。
ふじのアートビレッジは土日に再訪したいと思います。
薬物防止キャンペーン
南九州を中心に大雨が心配されますが、大和市でも昨日は朝方大雨でした。そんな中で、午前中はイコーザで茶道の稽古でした。午後3時過ぎからは、鶴間のイオン、ヨーカドーで行われた薬物防止キャンペーンに参加しました。薬物使用は最近も社会を賑わしているため、市民の関心も高いように感じました。
横須賀三浦稲門会
15日に大和稲門会からの来賓として横須賀三浦稲門会の総会に出席しました。横須賀ということもあり、講演会は海上自衛隊の1等海佐が登壇し、「ソマリア沖の海賊対処」についての話をお聞きしました。海上輸送を海賊から守るための活動の実態は非常に興味深いものでした。我々の海外からの食糧、原材料などがこのような方々により守られていることを改めて感じます。
懇親会では、早稲田卒業でもある上地市長が駆け付けて挨拶していました。その中で住友重機の一部用地が市に無償譲渡された経緯について触れていました。今までは横須賀市が勝手に構想を描き住友重機にプレッシャーを掛けていたこともあり、市長を含め市の関係者は役員にも会えなかったととのことです。しかし下地市長が今までの構想を全面撤回して、住友重機に白紙の姿勢で真摯に向かい合ったために、会社側が理解を示し、無償譲渡に結びついたようです。残りの土地も土地利用について、当然話し合いが開始されることと想像します。
第3回桜ヶ丘朝市
5月19日の日曜日は、好天に恵まれ桜ヶ丘朝市は大盛況でした。役員は朝8時に集合して、10時からの朝市開始の準備をしました。10時から始まり午後2時までの開催でした。今回は3回目の朝市ですが、前回同様大勢の皆様に来て頂きました。役員の皆様お疲れ様でした。
ご支援ありがとうございました!
22日の開票結果は残念なこととなりました。ご支援いただいた方々には力不足で誠に申し訳ありませんでした。次の23日はさすがに、何をするにも気力がわきませんでしたが、選挙事務所の撤収作業などに追われた一日となりました。
その後は、ご支援いただいた方々へのお礼の挨拶に廻る日々です。挨拶に廻ると皆様暖かい言葉を頂き、改めて申し訳なく思い、さらに残念に思うと同時に、次回もチャレンジする気持ちが湧いてきます。
4年間、じっくりと桜ヶ丘や大和市全体のまちづくり、産業振興、財政問題などを考えていきたいと思います。
昨日は、あいにくの雨となりましたが、そんな中で夕方から渋谷中学校同窓会の幹事会が桜ヶ丘で行われました。幹事会に先立ち、午後1時から有志9人が高座渋谷駅に集合し、同窓生の物故者の墓参りツアーを行いました。同窓生約200人のうち、物故者は12~13人程度ですが、そのうち高座渋谷、桜ヶ丘に墓石のある方々が8名です。高座渋谷から桜ヶ丘まで徒歩を中心に墓石を巡り、8名の物故者に花と線香を手向けてそれぞれの思いを伝えてきました。
選挙選終了
後援者の皆様、地域の皆様に支えられて、1週間の選挙戦が終了しました。長いようで短い1週間でした。
告示の14日は、街宣カーで地域を廻りましたが、次の月曜日から金曜日の午前中まで1日2万5千歩、多い時は3万歩、所謂「桃太郎部隊」を結成して地域を廻りました。桃太郎を行っている他の候補者はほとんど見かけませんでしたが、地域の皆様には肉声でお話しできたのではないかと思います。金曜日の午後から昨日まで再び街宣カーに乗り、大和市南部を中心に廻りました。
最終日の20には、街宣カーで廻りながら、途中で骨董市に立ち寄り、街頭演説を行いました。
夕方は、午後6時半から桜ヶ丘駅東口、午後7時半から桜ヶ丘駅西口でそれぞれマイク納めの街頭演説を行い、長い選挙戦の戦いが終わりました。
本当に、後援者の皆様、選挙にご協力いただいた方々、温かい言葉を掛けていただいた地域の皆様に感謝します。気持ちの良い快晴に恵まれた今日ですが、あとは静かに結果を待つだけです。